ステーショナリーに関して、日頃感じていることやお店であったことなど、万年筆の話題を中心に週1回(毎週金曜日)の更新でお伝えするコーナーです。
このコラムを読んで皆様がそのペンに興味を持たれて、使ってみたいと思っていただけたらとても嬉しく思います。
2010.08.27 旧来オマスの魅力を持った新製品 ”クルーズ”
2010.07.09 ヘミングウェイにも勧めたい 楔ペンシルホルダートゥラフォーロ
2010.05.21 オリジナル万年筆 セレネ初回ロット完成
2010.04.29 旅ノートとブルーブラック、2本目の旅万年筆
2010.04.23 アルボレス 美しいペーパーステーショナリー
2010.03.26 Liscio-Port(リスシオ・ポルト)メモホルダー
2010.03.12 オンリーワンの存在感 ラミー サファリ
2010.03.05 ジャケットのポケットにライフクロス手帳
2010.02.16 カンダミサコさんのペーパーウェイト発売
2010.01.07 オリジナル万年筆 Selene(セレネ)
2009.11.27 木の良さに甘えない ~クローズドエンド楔 万年筆~
2009.11.20 リスシオダイアリーカバー完成2~ダブルの誘惑~
2009.11.13 オリジナルダイアリーカバー完成1 ~シングルタイプ~
2009.11.06 インクが表現する世界観~セーラー季節限定インク色織々冬~
2009.10.23 作家たちの傍らにあった小判型のペントレイ
2009.10.09 Pen and message. 2nd Anniversary キーホルダー完成
2009.10.02 吸入式であるということ セーラープロフィットレアロ
2009.09.25 イベント 楔の奏でる木の文具展を終えて
2009.07.31 ヨーロッパ伝統工芸品の佇まい カランダッシュ エクリドール
2009.07.17 バラ紙と綴じたメモとコラボメモカバー新作
2009.07.03 リスシオ1製品第1弾発売~理想の紙を作ってしまった印刷会社の社長の情熱~
2009.06.19 デュポン 「ディフィ」ボールペンリフィル
2009.05.15 ファーバーカステル新作イントゥイションに見るトレンド
2009.05.01 マーレン ~掘り下げる楽しさと万年筆の広がりのバランス~
2009.04.17 ~ペンのアクセサリーという考え方~ ペンクリップ発売
2009.04.10 変わらないという戦略~ヤード・オ・レッド~
2009.04.04 さりげなくメモをとり、生かす ~コラボメモカバー~
2009.03.27 Conplotto-10(コンプロット-ディエーチ)
2009.03.06 神谷利男著 「My Favorite Fountain Pens」
2009.02.06 ペリカン「ポーラーライト」と大人たちとの時間
伝説になった加藤さん
1月23日、カトウセイサクショカンパニーの加藤清さんが亡くなりました。
84歳の非常に劇的な、ご自分の使命を全うされた偉大な生涯でした。
ある夏の暑い日、加藤さんの工房を訪ねた時の事を、工房のセルロイドの主成分である樟脳の香りとともに思い出します。
ある筆記具問屋の老営業マンに連れられて加藤さんを訪ねたのは 10年前でした。加藤さんは私たちを歓迎してくれて、ご自分の今までの仕事などを面白可笑しく話してくれました。
文具店の一担当者だった当時の私からすると、加藤さんは万年筆の世界の神様のように感じられ、お話できることがとても光栄に思えました。
その後もお付き合いをさせていただいて、万年筆の仕事をするようになって最もお世話になった人のうちのお一人でしたし、会社を辞めて独立して仕事をしていくということを考えた時に加藤さんのこともイメージするほど影響を受けた方でした。
オリジナルの商品企画など、加藤さんの存在なくては実現しなかったものをたくさん作っていただきましたし、またご迷惑をお掛けしたこともありました。
加藤さんは長く万年筆の仕事をしてきたことに固執せず、私たちの企画した商品に対して柔軟なアドバイスをくださり、一緒に商品を作りました。
1週間のうちで日曜日が一番楽しい、なぜなら来客や電話の応対から開放され万年筆の試作に没頭できるから、と80歳を過ぎてから言われていたことがとても強く印象に残っていて、休みの日の過ごし方を考える時いつも思い出します。
セルロイドという加工に手間が掛かかり、管理も難しい素材を使いながら、万年筆を手頃な価格で提供したいという職人としての志の高さには頭が下がりました。
それに加藤さんは経営者としての資質も相当なものだったと思っています。
お父さんが興した会社を、お父さんが亡くなったため早稲田大学を中退して継いでから、60年以上の間万年筆の世界に存在感を持つことができたのは、時代の流れを的確に読みながら、独自の道を切り開いた勇気と決断力があったからです。
大阪中、日本中にたくさんの万年筆を作る会社がある中、手作業から大量生産が可能なプラスチックが出始めた時、小さな工場は淘汰されていきました。
その中でも加藤さんは設備投資し、新しい技術を取り入れて生き残りました。
価格競争が厳しくなると、中東に新たなマーケットを見い出し、エジプトに政府との合弁の工場を建設しました。
健康上の理由で日本に戻ってからは、フランクフルトの見本市に出展した時に商談が成立したコンウェイスチュアートの万年筆を作るようになりました。
コンウェイスチュアートが倒産した後、伝説になっているビスコンティとの仕事を始めました。
ビスコンティの初期のセルロイドの万年筆は全て、加藤さんの手によるものでした。
イタリアから大量のセルロイドが送られてきたものの置く場所がなく、工場の前に積み上げておくしかなかったとか、他のメーカーからもたくさん仕事の依頼があったけれど、ビスコンティの仕事が手いっぱいで、受けてあげたくても無理だったとか、とても大変だったけれど、楽しかったと話してくれました。
高齢になり、体力的に厳しくなってきたので、ビスコンティの仕事を断り、日本国内向けに仕事を変えて行きました。
その頃の日本には、手作りのセルロイド万年筆を求める土壌が出来上がっていましたので、加藤さんのペンは多くの人の気持ちをつかみ、亡くなる直前までペンを作り続け、生涯現役という私たち自営業者が憧れる生き方を体現していました。
もしかしたら加藤さんのような人は二度と現れないかもしれませんし、私たち万年筆の仕事に携わっていた人間は、加藤さんの能力に頼り過ぎていたのかもしれません。
加藤さんに甘えきっていた私たちを加藤さんはどう思っていたのでしょうか。
そしてこの業界のことを心底心配して、旅立って行かれたのではないかと思っています。
